理不尽な目にあったときに心を穏やかに保つたった1つの方法
こんにちは、ちるです!
みなさんは理不尽な目に合ったこと、ありますか?
この質問には、yesって答える人が多いのではないかなと思います。
職場、学校、家庭、友人関係、どんなところにも”理不尽”なことってありえますよね。
とかいう私もずっと接客業をしているもので、それはもう色んな理不尽さに出会ってきました。笑
でも、そのときにいつも心に留めている「心がラクになる対処法」があります。
今日はそれを書いてみたいと思います!
「徳をつむ」という考え方
私が大好きなブロガーさんの中に今日はこれを証明しようと思う。という個人ブログを運営されているkeitaさんというブロガーさんが居ます。
keitaさんプロフィールはこちら
ブログ運営1年目にして月に40万PV、収益70万円を叩き出すブロガーさんで、もちろんそのブログ運営能力が半端ないところも魅力なのですが、
実は、私はkeitaさんのブログよりもライン@が大好きで!(すみません…(笑))
きっちりマジメに文章を送ってくださる日もあれば、一言でゆるーくメッセージをくださる日もありますし、ご本人が読者さんとの交流を楽しみながら文章を書いて送ってきてくださってるのが伝わってくるんです。
読むと毎回ポジティブな気持ちになれちゃうんですよね^^
そんなkeitaさんのライン@に、ある日こんな一文がありました。
僕はすごく理論的に考えるのですが、根本はすごくオカルトなんです笑
基本的には「人に良いことをすれば、何かしらの形で返ってくる」、「人に迷惑をかければ何かしらの形で返ってくる」という考え方で動いています。
つまり、徳をつめば、神様がみてくれていて、お金や運になって返ってくるという理論です。
別に変な宗教とかにはまっているわけではありません。
(中略)
お金を稼ぐのに大切な考え方やテクニックは存在します。
しかし、そんなことよりもやっぱり「運」って大切だと思うんです。
この日のライン@には、他にもkeitaさんが徳を積むために意識してることや、参考になった本などのことを書いてくださっていました。
でも、私が一番ビビビッと来たのは徳を積むという言葉。
これには、私が少しでもラクな心持ちで生きるために実践していたことと、共通する部分があったのです。
「捨てられた徳」を拾っちゃおう!
最初の方でもお伝えした通り、私は長らく色んなお店で接客業をしています。
どこに行っても素晴らしく上品で優しいお客さんにたくさん恵まれて、接客業は大好きなのですが、時々意味わからない理不尽な目に合います。
一例としては
・お店のトイレを使おうとしたら使用中で開いてなかったと、私が怒られる(他のお客さんが使用していた)
・お店のスタンプカードに押したスタンプが何て書いてあるかわからないと怒られる(英語が読めなかったらしい)
・自分が思ってたよりカレーが辛かったと怒られる
とまあ、ここに書けてるのは可愛いもので(笑)、書けないようなことも含めると本当色々ありました。
そんな理不尽さに出合うたびに呆れますし、怒りの感情が湧くこともありますし、悲しくなることもあります。
でも、正直に言って、接客業の場は自分が思ったことを素直に表せられる環境ではないですよね。
表しても良いのですが、相手がヒートアップしてしまうと後々に大変面倒なことになるので、冷静に話を聞いて対処します。
そんなとき、自分の感情はどういう風に処理するのか?
これはとっても重要だと思っています。
理不尽な目に合ったときには、ただ我慢するだけではなく、自分の心の声や感情にもしっかり向き合い対処ができないと自分のしている仕事自体嫌いになってしまいそうになりますから。
でも、理不尽なことのせいでそんなこと思うなんて、それが一番損ですよね?
そうならないために、発想を少し変えて考えてみるのです。
私は「あ、この人今、徳を一つ捨てたな~」っと思うようにしています。
そして、それに上手く対処することで、その人が捨てた徳を拾ったと思っています。
徳を捨てる人たちは目に力がなく、口角もさがり、若い人でもほうれい線がくっきりとしている(頬が垂れ気味な)人が多いんですよね。
そんな人たちの特徴を観察し、「こうなってはいけない」と自分の心に刻み付けつつ、「あなたの落とした徳はしっかり私が貰います」と心の中でハッキリ宣言しちゃいます。
いや、そんな丁寧に宣言してないな。「もらっちゃうぜーーーー!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/」みたいな感じ。(笑)
こうやって思考している間に怒りの感情も悲しみも和らいでスッと落ち着くことができますし、気持ちがラクになるんです。
でも、これを読んでくださってる人の中には
「所詮は徳なんて目に見えないしー。神様も居るか居ないかわからないし、徳をつむって結局自分の気休めみたいなもんなんじゃないの?」って思われる方もいますよね。
気休めではないんです。心の中で徳を積み続けることには大きなメリットがあります。
それをお伝えするために「大きな徳」を積んだ人の話を一つ書きたいと思います。
「大きな徳」を積んだ人
大きな徳を積んだ人とは、私の父です。
まだ父が若く、私が生まれる何年も前、ある大きな事件が起きました。
父の父(私の祖父)が亡くなったのです。
原因は無免許の10代の少年が運転するバイクによる交通事故でした。
そのときに殺意はなくても、完全な他殺です。
でも、父は警察に被害届を出すことはしなかったそうです。
私がそのことを知ったのは最近で、何でなんだと父に問いただしました。
悪いことをしてそれによって人が一人命を落としたのだから罪を償うのは当然じゃないの?
しかも、そのことがなかったらお祖父ちゃんはまだ生きていたかもしれない。
私も会えたかもしれない。その可能性も奪われたんだよ?と。
父からの答えは
「彼は若いし、反省してきっと更生できる。
でも俺が警察に届けて前科がついたら、社会に出たときに前科者として生きていくことになって色んな可能性を奪われちゃうかもしれない。
それに、彼の両親や周りの人たちも前科者の家族として生きていくことになっちゃうから」
でした。
事故のあと、彼の両親や学校の先生らが訪ねて来ては土下座をし、「どうか警察にだけは届けないでやってください」と頼み続けられたそうです。
父は、そんな彼の将来の可能性や彼を大事に思う家族の気持ちを考えるとどうしても警察に届けることはできなかったといいます。
その後、彼本人は両親と共に一回だけ謝罪に訪れ、それっきりです。
四十九日も、その後の命日も来たことはないと言います。
私はこの話を聞いたとき、とっても理不尽だなと思いました。
父の良心に訴えかけて警察に届け出ないことが分かった瞬間、それっきり何もないだなんて!
結局はこっちの家族が一人命を落としたっていう事実だけが残ってしまったじゃない。
そんなんで良かったの?
でも、私はkeitaさんのライン@で「徳を積む」という話を読んだときに真っ先にこのことを思い出し、
ああ、私の父はあの時1つの大きな徳を積んだんだなと思ったのです。
そして、神様はちゃんと見ていて、父に運を授けてくれたのかなと思えたのです。
大きな徳をつんだ私の父がどうなったか?
そんな若い人の可能性を信じた父ですが、その考え方は他の場面でも生きています。
仕事では、自分の部下に対して年齢や国籍なども関係なく優秀な人を引き上げて、やりたいようにやらせてみるというスタイルをずっと取っているそうです。
それも若い人の可能性を信じ、潰されることがないように守りたいという父の思いで、徳を積むことになっているのではないかなぁ。
他にも、募金を積極的に行うとか、困ってる人が居たら絶対に手助けするとか
あーこの人、無意識で徳を積むのが上手いなあって思います。
そんな父は、今は社会的に地位を得ています。
詳しいことはあまり書けないので隠すような書き方になってしまうのですが、業界では有名で父の名前を知る人も多いと思います。
それに伴った収入も得ていて、いやらしくなりますが一言でいうとお金も持っています。
その地位にいくまで、努力もあったでしょう。
でも、それだけではなくて昔から父は何かと運が良かった。
とてもいい仕事仲間や部下にも恵まれていて、俺は本当に幸せだといつも言っています。
それはもしかしたら、積んだ徳によって返ってきたものかもしれません。
この話は父の自慢がしたいわけではありません。
徳を積んだらどうなるのか?の一例として父の話を(だけしか私はできないので)書きました。
「徳をつむ」という考え方ひとつでラクにもなるし、楽しくもなる
私はkeitaさんのライン@を読み、父の話を思い出してから、ますます徳をつむ・徳を拾うことを意識するようになりました^^
徳を積むって考えるだけで、理不尽なことにあっても心がラクでいられるし、ポジティブな気持ちで過ごすことができます。
生きていると大変なことはたくさんあるからこそ、
少しでも自分が楽しく、気持ちをラクに生きていけるような考え方を選ぶことも大事かなと思います。
ついでに運気も上がってくれたらなー♪ なんて。(笑)
皆さんもどうでしょう?
keitaさんも書いていらっしゃいましたが、信じるか信じないかはあなた次第!
そんなkeitaさんのライン@をのぞいてみたい方はこちらです^^